昭和54年4月1日 歓学祭


親先生のご教話



 先月の、十三日会の日でございました。十三日会という会が出来ました。十三日会のために合楽教会が生まれたんだ。十三日会が出来ることのために合楽教会が生まれたと。皆さん、お分かりになると思うです。十三日会という会がどういう会かと。ね。神眼がご成就になる日だと。神様の願いがかなえられる日というのが、十三日会、発会の時の御理解でした。どうでも、神様の願いが、この地上に成就していかなければなりません。先ずこの、合楽の地。合楽に御神縁を頂いておる、一人ひとりの信奉者の上に、御神願が成就していかなければなりません。そして、それが、ね。それこそ、世界万国に広がっていく働きをなしていかなければなりません。ね。合楽教会が出来たのは、十三日会が出来ることのために、大坪総一郎が、この世に誕生のおかげを頂いたのは、十三日会が出来るためにとも、だから言えるわけなんです。私は今日、おかげを持ちまして、六十五回の誕生を迎えさせて頂きました。私共が、この世に生を受けさせていただいて、ね。神様の願いに応えられれる御用をさせて頂くというほど、尊い、有難い事はないと思うんです。どうぞ、お互いが、それぞれに、生き甲斐をもっておりましょうけれども、その生き甲斐を、どこにおくかという事でございます。今、合楽で言われております、合楽理念が、いよいよ、その確立のために、日々、新たな教えを頂いております。最近、頂きます御理解の中に、頂けばいただくほど、なるほどそうだなあ、そうだなと思わせていただくのは、ね。合楽理念をお互いが、ね。分からせて貰うて、合楽理念によるおかげ。いわゆる、お商売は合楽理念をもってするほかはない。まあ、今日の、マルショウの方たちに言うならば、お勉強は、合楽理念を持ってするほかはない。ともう、一切、すべての事に合楽理念をもってするという事が、このようにも素晴らしい成果を生むんだという事を体験させてもらい。私共が、合楽理念の実験者となり、同時に実証者とならせて頂かなければなりません。それが、実証されていくところに、いよいよ、和賀心時代を、ね。世界に広げていくというか、今まで、様々な宗教が、二千年、三千年と長い歴史を持った大宗教がございます。ところが、教祖金光大神様は、ね。確かに、前代未聞の教え、開闢以来の教えを、開闢以来初めてのみ教えを天地の親神様から、ね。神頼みを受けられて、そして、金光教の信心が生まれました。金光教が始まって、もう、百年であります。百年の間に、教祖様のみ教えの、その深遠さ、その深さ広さを、初めて私は、合楽理念によって、それを探求することが出来たという風に感じるのです。ね。金光教は、まだ若い。金光教より、もっともっと素晴らしい立派な教えを持っておる教えがあると、もう、教団人の中にでも、それを、そうだと信じている人が沢山ございます。ところが、合楽理念を持って、それを分からせていただきますと、ね。いわゆる、そういう宗教では、人間の真実の幸せ、幸福にはなれないという事が、いうなら、ここ、二千年、三千年の歴史によって、紐解いてみると、助かっていない事実が明らかになります。ね。合楽理念を持って、私共が、ね。本当の助かり、ね。しかも、ね。日々を有難く、楽しゅう、しかも愉快にまでなれていけれる道が、合楽理念には説いてございます。例えば、神道、いわば、古神道辺りで申してまいりました、ね。罪、汚れという事を申します。祓い清める、ね。罪でもないものを、祓わねばならないほどの不浄でもないものを、いや、むしろお礼を申し上げなければならないものを、祓わなければおかげが頂けぬ、神様には近づけないという教えであります。ね。食べることの出来ないものを食べたがゆえに、いうなら、現在、頑張りました。キリスト教で言う現在です、ね。教祖の神様は、食べて悪いというようなものは無い、ね。全てに御の字を付けて頂かせていただく、そこには、現在はありません。現在がある限り、キリスト教では助かりません。お釈迦様が説かれました因縁、または、輪廻の説から申しますと、今日の、例えば、お互いの難儀は、もう、それは、因縁のためだと説いてあります。ですからもう、助かりようが無いです。ね。教祖の神様は、ね。例えば、全てを、ね。神愛。ただ、天地に対するお粗末御無礼のところを分からせてもらい。ね。天地の親神様の働きが、ね。氏子かわいいの一念でおありになる。神愛のみだと。私どもが、因縁のため、いうならば、罪のため、不浄が出来たから、汚れが出来たから難儀になるというのではなくて、ね。そういう風に思うておったと、思うておる間は、人間助かりようがありません。ね。合楽理念を頂きますと、それが、いうならば、なるほど、お粗末もあり、御無礼もあり、そこに難儀がございますけれども、その難儀の実態を、いよいよ分からせて頂くと、神様有難うございますとお礼を申し上げるばっかりであるという、そこに、金光大神取次ぎの助かりの理念があるのです。しかも、それは、私が、それを実証していっております。ここで、その信心を頂いておられる皆さんの一人一人が、それを、ね。実験し、現していっておられます。ね。これはいつも申します事でございますけれども、ね。とにかく、海外布教は合楽理念を持ってするほかは無いというような教えは、今までかってなかったんです。ね。さあ、大変な難儀魂魄をそこに、言うなら、段々、根を張っていくという宗教はございましたけれども、ね。例えば、言葉は分からなくても、如何に国の事情が違うておっても、ね。合楽理念を持ってすれば、助かることが出来るという実証を、今、南米の地で、それを現しております。
昨日、ちょうど、一緒に、マットグロストの教会とそれから、ビリグイの教会からお手紙が参りました。もう実に、ね。教会長先生は、今、こちらへ帰ってきとりますからおりませんけれども、あちらに残しておった合楽理念に基づいて、やはり、ビリグイの地で大祓い心行が、日々、繰り返されております。そこにはもう、本当に不思議、奇跡と言わなければおれないほどしのおかげを頂いております。マットグロストからのお手紙にも、先日から、ある外人の方が、もう、どうにもしようのない、ね。もう、病人のお届けが、あちらの教会長からあっておりました。昨日の手紙では、それがもう不思議におかげを頂きつつあるという、お礼のお手紙でした。もう、合楽理念を持ってするほかは無い。そういう信心がです、ね。世界の津々浦々に広がってまいりますならばです。ね。世界に、和賀心時代を、ね。世界に十三日会(や)を、私共の、いうならば、罪も不浄も、または、因縁も、ね。詫びれば許してやりたいのが親心じゃと仰せられる。心から詫びて、これからの信心によって、人間が幸せになって行く道を。それを先日の御理解の中に、「合楽理念とは、とにかく簡単です。明瞭なんです。ね。そして、おかげが間違いなくいただけます。」ね、いうならば、難しいとか、大変勉強が、しなければ分からないという宗教ではない。本気で、お互いが分かろうとするならばです。ね。「簡単です。明瞭です。そして、おかげが確かです。」そういう教えが、今までかってあっただろうか、ね。確かに、宗教以前の宗教。いよいよ本当の意味においての人間が助かっていく、幸せになって行く道が、ね。金光大神の信心によって、しかも、その信心をです。その教えを合楽理念でくまびらかにして、ね。誰にでもそれが布教出来れる、分かっていただけれる信心がです。私共、先ず、おかげを頂いて、実証者になって、それを示現活動に参画させてもらわなければなりません。どんなに、お粗末御無礼が、例えば、あったに致しましても、ね。その詫びれば許してやりたいのが親心であるという、その親心に、私共が、ね。子供としての、真を尽くしていく信心なんです。ね。それは、段々、難しく勉強するなら、ほんなら私が、ここ、三十年間説いてきた、あの御理解を読んだら良いわけです。けれどもね、それをこう、まとめてまいりますと、先日から、あー、秋永先生の奥さんが、あのお知らせを頂いたと申しますようにです。ね。合楽天国の神の願い。合楽天国というのは、ね。極楽以上の極楽という意味でしょう。ね。それが地上になって行く、成就していくことのための、神の働きをキャッチせよと、というお知らせであった。だから、そういうおかげを頂くためのキャッチというのは、大変な難しいことであろうというのを、合楽理念では、とにかく、土の信心に極まったという風に説くのです。ね。その土の信心に極まった。だから、土の信心に徹底してしまうという事は、なかなかむつかしいことでございましょうけれども、一歩一歩、それに近づかせていただく、ね。そこから、その気になれば、もうそこにおかげが現われてくる。幸せの道が着いてくるというのです。ね。私は、十三日会という、いうなら会が、全世界に、ね、放生会の信心、精神が世界中の人達に、徹底して分かっていくおかげをいただいて、ね。詫びて許されて、そして、願うておかげを頂いていく人間の幸せ、ね。地上天国の、いうならば、ね。夢のような話ですけれども、私共、一人ひとりの上に、それが実現されていくおかげを頂かなければなりません。ね。そしてそれが、示現されていかなければなりません。合楽教会が生まれたのは、十三日会が、ね。出来るために合楽教会が生まれたんだと。ね。大坪総一郎が、この世に誕生いたしましたのは、ね。その十三日会が出来るために生まれたんだと。私は、今日、御祈念中に、私が、あの今日、お装束を着けておりました、その後ろに、私と同じ装束を着けた、私と同じ、私と同じ、が、ずーっと続いておるところを頂いた。ね。はあ、あちらの初代の時に大変おかげを受けたけれども、二代、三代でつまらんようになったと。それは、確かにお徳を受けておかげを頂いてきた教会やら、人達が沢山ございますけれども、ね。いうならば、合楽で、私共がおかげを頂いていくという事は、ね。覚えようとすれば、それを実行しようと思えば、誰でも実行が出来、覚えられる合楽理念を頂いていく限り、これは、二代に、三代に、教祖様が教えられる、めでためでたの若松様よ、枝も栄える葉も繁るというではないかと。金光大神は、家繁盛、子孫繁盛の道を教えるのじゃと。その、子孫繁盛の道、家繁盛の道こそが合楽理念なのです。だから、これを頂いていく限りです。ね。いよいよ、ね。合楽の信心は、ね。世界津々浦々に広がっていくことだろうと、私は信じております。ね。そのいうならば、一つの手本のような物が、合楽教会であり、また合楽教会で、その実をあげておられる皆さんであり、海外布教を合楽理念を持ってするほかはないという実証をしていかれておるのが、末永先生だというふうに思うんです。ね。先ず、私共が、その実証者にならなければならない。今、光昭先生が、ここで申しておりましたように、今日の歓学祭に、沢山、お子達が集まりました。本当に、心を中心にしての勉強、ね。そして、いうなら、勉強も、子供なりに合楽理念を持ってするほかは無いというような事が、段々、分かってまいりましたならです。いよいよ、親も安心という事ではなかろうか、ね。親の事は子が頼み、子の事は親が頼み、頼み合い致せと、という様な事を話しておりましたが、ね。確かに、そういう世界が顕現されてこなけりゃならん。私の心の上に、私の家庭の上に、それが、ね。実現していかなければならんのです。ね。皆さんの、ま、言うなら、一人一人が、本当の神様に喜んでいただくような生き甲斐。例えば、ね。十三日会が生まれることのために、大坪総一郎が誕生した。ね。そこで、皆さんが、なら、合楽理念をマスターする。それを体得して、現して行かれるとするならばね。大坪総一郎と同じ生き甲斐をそこに感じることが出来るだろう。まあ、いうなら、神様の手にも足にもなろう。親先生の言うておられる事を、いよいよ実証していこうという、そういういうならば、おかげを頂かれることになったら、もう、間違いの無い生き甲斐が、そこに生まれてくるのでございます。ね。せっかく、子の世に生を受けたのでございますから、ね。とにかく、有難い一生、神様に喜ばれる一生でありたいと思います。どうぞ、ご挨拶に代えさせていただきます。


末永静行
2005年10月16日